ほていさんの覚書

自分なりの視点で世界を切り取りたい

鎮魂

今週のお題「おとうさん」

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私の父は5年前に亡くなった

間質性肺炎という難病に侵され、入院から1か月後に息を引き取った

壮絶な闘病生活だったと思う

見ているこちらが消耗するくらいの状態が続いた

 

「死にざまは生きざま」というらしいが

妙に納得している自分がいた

 

 

父はハチャメチャな人だった

 

戦後まもなく生まれて

幼いころに母親を失い

3人の姉と兄、そして父親に育てられた

貧しく大変な幼少期を送ってきたんだろうとこの年になると想像ができる

 

でも、幼いころの私はそんな父が恥ずかしくて怖くて大嫌いだった

 

母親への暴力

不倫

 

癇癪持ちで気に障ることがあると

そこらじゅうの物、人にあたりちらす

 

出かけた先々、取引相手や来客など

人目をはばからず大声を出して怒鳴り散らしていたことが

今でも昨日のように思い出せる

 

心を開いて会話をした記憶がない

父を目の前にすると委縮してしまい

ことばが出てこなかった

 

 

ようやく父を許せるようになったのは社会人になってしばらくしてからだ

父が善しとしていたことは社会でもまっとうで

父が悪しとしていたことを念頭に置いて業務をすることで

自分は一定の評価を得られるようになっていた

 

父親に怒鳴られまいと幼いころから習慣的に身に付けてきたことが

社会の中で通用し評価されていることに最初は戸惑った

それどころか、父から受け継いだ性格や気質などが

働くうえでアドバンテージになっていることに感謝の気持ちがわいてきた

 

母ではなく父の遺伝子を受け継いでよかったと

これまで父と自分のつながりを否定し続けてきたけれど

自分は父の子でよかったと

 

 

悲しいかな

このことばがようやく伝えられたのは

葬儀を翌日に控えた通夜の夜

棺に入れる最後の父への手紙ででだ

 

入院生活中もやはり私のトラウマは消えてはおらず

苦しむ父を見てもぎこちないことばしかかけられなかった

悔しくて、悲しくて、辛くて、情けなくて

自己嫌悪に陥った

 

以前どこかで読んだ本に

子どもは両親を選んで生まれてくるということが書いてあった

だから、どの子も必然性をもってその家に生まれてくるのだと

 

子どもに聞き取り調査をする中で

子どもには生まれる前の記憶があることが分かったという

 

その子の「魂」が上空から自分の両親を見つめているような記憶らしい

そして、その子の意思であの両親のもとに行こうと

そうやってこの世に生を受けるらしい

 

だから私もきっとこの両親のもとに生まれる決意をして

生まれてきたのだと思うと

私と父との関係にも希望が見いだせる

絶望的だった自分の子供時代が前向きなものとして受け入れられる

 

この投稿がネットの大海に流されて

やがて天国の父に届いてくれたらと願わずにはいられない

 

お父さん、元気ですか