ほていさんの覚書

自分なりの視点で世界を切り取りたい

ほていさんのもっと詳しいプロフィール

プロフィール

愛知県在住、40代、独り身女です

15年以上地元で、中学生に英語を教えています。

 

最近ちょっとした病気で、入院、手術、自宅療養の生活をしたことがきっかけで、

ブログを開設しようと思い立ち、かれこれ半年が経ちます。

 

同じ時期に出会った本からも大きな影響を受けています。

落合陽一

 ↓

堀江貴文

 ↓

佐藤航陽

 ↓

前田裕二

 ↓

西野亮廣

 ↓

成毛眞

 

の順ではしごをし、「新しい生き方」に目覚めて、行動を起こしています。

このブログ開設が私の中では大きな一歩です。

 

 

主な経歴

15年以上も公教育の現場で働いてきて、

近頃、この仕事に対する限界のようなものを感じ始めています。

異業種の人との交流を深めるにつれ、この業界の閉塞性や保守的な文化の前に

どうしようもない虚無感に襲われます。

 

そして、上記の著者に代表されるように、自分の人生を生きている人たちの

生きざまに強く惹かれ始めています。

 

「公教育」という、慈善事業の極みを体現する現場で

無償の愛情や情熱を注ぐために、膨大な自分の時間を犠牲にして働き

社会の様々な問題解決を軒並み「教育の大切さ」の旗印のもと

何でもかんでも現場に押し付けられたりすることに

疑問を抱くようになっています。

 

この先もこんな疑問を持ちながら、毎日我慢して働くことに何の意味があるのか

複雑多様化する社会や家庭の要求を満たすために、

べらぼうに働かせられる駒に成り下がるのは、絶対に嫌だ

自分のやりたいことを思う存分できるようになりたい

そう強く感じるようになっています。

 

 

 自分は、思い立ったらまず行動を起こすタイプです。

ブログの開設なんて、このご時世、かなり後発で、今さら感がありますが、

くすぶっている自分の現状を打破するためにも、

何か行動を起こさずにはいられませんでした。

だから、絶対に続けたいと思っています。

 

 

 発信したいこと

好きなことはいろいろあるけれど、

長いスパンで継続して発信できる自信があることは、読書ブログです。

 

 

最初に紹介した著者の本は、主にビジネス書に分類される内容だけど、

普段はもっぱら小説を読みます。

池井戸潤に代表されるような、社会派小説が好きです。

骨太で、読みながら思わずうなってしまうようなプロットに惹かれます。

感動する作品に出会えると、その作家ばかりを追いかけて読みあさります。

 

 

そして、フィクションの世界に物足りなさを感じると

味を変えるために話題のビジネス書や新書を手に取ります。

そのタイミングで出会ったのが、

落合陽一さんをはじめとする今旬の人たちの著作です。 

 

 

あとは、一人旅、海外旅行といった内容でも発信したいです。

海外旅行は、一人旅、グループ旅行合わせて、16か国を訪れました。

時間とお金さえ許せば、まだまだ行きたいところが満載です。

 

旅行で訪れた場所で感じたことを、

大切に記憶しておくためにも、旅行の記録を残していきたいです。

 

 

何がうれしくて独り身なんだ・・・

この年代になって、痛感する自分の欠点は、

「できない」と言えない、言わない、性格です。

 

実際、任された仕事は、すべて「やれてしまう」し、

驕った言い方に聞こえるかもしれませんが、

その他大勢の人がするよりも、クオリティの高いものに仕上げられる

という自負があります。

 

上司の仕事ぶりを見て、「できない人だ」と判断すると、

一気に尊敬の念が覚めていきます。

「あぁ、その程度ですか・・・」と。

「それなら、自分の方がよっぽどましなものがつくれますけど・・・」と。

 

私としては、ただ自分が納得できるものに仕上げるために

頑張って業務をこなしていくんですが、

そうすると、また別の依頼が舞い込んでくることになります。

別に私は、自ら手を挙げて「やります、やります」と言っているわけではありません。ただ、与えられた任務を実直に遂行しているだけだと思います。

 

そんなことを繰り返していくうちに、雪だるま式にどんどん自分に降ってくる仕事

が増えていって、自分のことを犠牲にして、業務の方を優先するようになっていきました。

 

自分をあてにしてもらえることは、

「頼りにされている」「評価されている」と感じられることなので、

素直にうれしいと感じます。

それが、社会人として「働く」ということなのだと信じてきました。

 

でも、あるときふと

「単なる都合のいい人」に成り下がっていないか?と不安になり始めました。

 

周りの友達を見渡すと、

みんなとっくに「家族」だったり「プライベート」だったりに軸足を置くようになっていて、自分の地盤みたいなのを固めていました。

 

そういう友達は、当然それが優先事項になって、「パブリック」な社会人としての立ち位置もスタンスも変化し始めます。

一方で私は、相変わらず「パブリック」としての立ち位置がベースになっているから、身動きが取れなくなってきています。

 

そのことが無性に、悲しい、わびしい、寂しい、悔しい・・・

 

私は、ただ目の前にあった業務をひたすらにこなしていただけなのに・・・。

 出世、出世とがめつく前に出てくる割には

中身がスカスカの仕事しかできない無能な同僚がほっとけなくて、

見捨てておけないから、ちゃんとした形のものにしたいから、 

 

でも、そんな奉仕の精神なんて、どこかで割り切らないといけなかったんだって

今、痛感しています。

もう取り戻せない10年以上の歳月を背中に感じながら。

みんな、上手に切り上げていたんだって。

自分は気づかずにいつまでも馬鹿正直に頑張っていたから、

いつの間にか、ポツンと取り残されてしまった気分です。

 

 

これからは自分の人生を生きる

 それでも、たくさんの本との出会いや、素敵な生き方をしている人たちとの出会いによって、「新しい生き方」に気づけたのは、幸せなことだと思います。

 

人生100年時代の幕開けという言葉も聞かれるように、

まだまだ、私の人生はこれからだって思います。

取り戻せない過去に縛られている暇があったら、

まだ半分以上残っている残りの人生のために

全力でエネルギーを注げばいいんだと思います。

 

やりたいことは次々溢れてきます

例えば・・・

 

『和』的なもの

着物、古民家、棚田、神社

 

『くつろぎ』的なもの

コーヒー、ヨガ、ねこ

 

自分の好きなあれこれをいろいろ組み合わせていくと

何ができるだろうと想像していると

とてもワクワクしてきます。

好きなことに貪欲に、好奇心を失わずに、

このワクワクを追い続けていきたいです。